ルームメイトがkindle3を買いたいけどシンガポールでは買えない、ということで日本から送ってもらったのだが、そのついでにこの本も送ってもらった。なんでiPadで読める形式で出してくれないんだか(ターゲットが違うのだろう)。
ウェブで学ぶ ――オープンエデュケーションと知の革命 (ちくま新書)
- 作者: 梅田望夫,飯吉透
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2010/09/08
- メディア: 新書
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「学ぶこと」は、そのための「機会」と「必要な助け」さえ得られれば、あとは自分の志や情熱次第で、かなり思い通りになるはずです。オープンエデュケーションは、そんな「学ぶ機会」や「よく学ぶために必要な助け」を、世界中のすべての人たちのために最大限に増やしていこうという、「21世紀の壮大な教育イノベーション」なのです。
という感じでその後いろいろと具体的な話が出てきて、期待通り面白かった。こうやってインフラが整ってくるとやる気による格差がどんどん広がってくると容易に想像できるけど、まあやる気ないのならしょうがないよねと思った。勉強しない自由もあるわけで、そこは尊重すべきだと思う。
「せっかくここまでいろいろと考えたのだから、どうせビジネスとして儲からないのであれば、いっそのこと社会貢献としてMITのすべての講義をウェブ上に無料で公開してしまったらどうか」
MITのこういう発想はさすがだと思った。この自信と行動力が素晴らしい。
「何か構想を打ち出して始める」が第一段階、「コツコツとかなりの期間やって、ある達成がなされて一部から高く評価される」が第二段階。そしてその先、何段階の不連続なポイントがあるかわかりませんが、そのうんと先に「世界を変えるほどとてつもないもの」になる段階が来るというのが、僕が新しいプロジェクトを見るときの見方です。
この言語化は実に梅田さんらしくわかりやすい。
アップルのスティーブ・ジョブズの言葉に「シリコンバレーの存在意義は『世界を変える』こと。『世界を良い方向に変える』ことだ。そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功を手にできる」というのがあります。
世界を変えないなら存在意義はないわけか。ここまですっきりしているのもいいな。
ユニバーシティ・オブ・フェニックスは、始まったばかりの頃は、アメリカ国内でも懐疑的な見方をされていて、「オンラインの大学を出た奴に何ができるんだ」という感じでした。それが、徐々に卒業生が増えてきて、その人たちが社会に出てきちんと仕事ができるということが実証され、社会一般の認知度が徐々に高まっています。つまり、「ブランド」として根付き始めている、と言えるわけです。
一昔前のように、「オンラインで取った学位というのは価値がない」というような議論は、少なくともアメリカ国内では、最近ほとんど聞かれなくなってきていますね。
これは非常に興味深いと思った事例。オンラインの大学がそこまで認知されていたとは。OCWで学んでもどこまで理解したのかを認定してくれるところがないと外に出てから不便だと思ったが、状況というのは常に改善しているようだ。
フラット・ワールド・ナレッジが検証しようとしているのは、「教科書を出版してその印税を得るより、教科書を原則フリーにした方が儲かる」という「仮説」ですが、ビジネスの試行錯誤をやっていく中で、この「仮説」が間違っていたり、この「仮説」がかなり限定的な条件下でしか成り立たない(たとえば、ある分野の標準というべき影響力を持つ教科書なら成り立つ)とわかる、ということも考えられます。
そういうことはウェブ進化の歴史でずっと起きてきたことです。先駆者たちが、「新しいビジネスモデルの方が儲かる」という「仮説」で既存業界の人たちを説得していって、その「仮説」が部分的に間違っていたことが途中でわかっても、もう後戻りはせずに、ごちゃごちゃと軌道修正しながら「新しいビジネスモデル」を追求しつづけていって、そのうちブレイクスルーが生まれる。そんな繰り返しでした。
ここも梅田さんの言語化で興味深いと思ったところ。非常にクリアでわかりやすい。常々「仮説」を持って行動していかないと、他人の後を追うことしかできなくなってしまう気がした。最初から完璧な「仮説」なんて必要ないし、未来のことは誰にもわからないから、その後の試行錯誤も重要なわけだ。
そういう能動的な人たち、あるいは、サバイバルしようという強い意思を持っている人たちには、強制力はあまり必要ないかもしれません。けれども、教育全体を考えた時には、意思の力が弱くてずるずるいってしまう人にも、オープンエデュケーションが有益な道具となるように、いろいろな工夫が必要になってくるでしょう。
結局のところ手っ取り早いのは自分の意識を変えることだと思った。そんな「工夫」ができるのを待っているような、受け身な姿勢がそもそも間違っているわけで。
とにかく重要なのは、ただ勉強しているとか、ただ考えているとかではなくて、何でもいいから実践的なプロジェクトに関わって、人とつながっていくことなのだと思います。「in the right place at the right time」という言葉があります。「正しい時に正しい場所にいる」こと。僕はこれが人生の極意だと、シリコンバレーで学んだのですが、この「正しい場所」というのは、実践を伴うコミュニティである場合が多いと思います。
ここが最も難しそう。オープンソースの世界ならパッチを送りつけたり、いろいろコミットしたりできそうだけど、分野によっては道がそれほど柔軟ではなさそう。今大学院生の自分にとっては、どこかでインターンをしてみるとか、まあそんなところか。
「一生学び続ける時代」にあった様々な学習機会が、オープンエデュケーションによって得られる。
一生学び続けるのが当たり前の時代。そんな時代の導入として、一読する価値のある本だと思う。あと、以前ルーウィン教授の講義の感想を書いたときにも書いたが
でも面白いと言って、その場限りで終わってしまうのはあまりにももったいないと思う。
英語で物理 - technophobia
利用しないと存在してないのと一緒である。
英語で物理 その2 - technophobia
ってことで使わないと意味はない。それからオープンコースウェアについて詳しく知りたい人は、下のサイトを見ればいいと思う。
「お前らちょっと来い。世界の教育を知れ。で、勉強しろ。」
http://loci.cc/ocw/index.html
なぜ、海外の講義資料を漁るか:
日本の大学教育のレベルは高い。確かにレベル高い。でもね、いまのところ大勢としては終わってる。自浄作用も働いてきてるけど、それでもまだ終わってる。
アメリカとか、フランスとか、中国とか、ラテンアメリカとか、なんだかんだ言ってマジなんだ。奴らは勉強している。
OPENCOURSEWARE は確かに、教材としては不完全な物だ。だが、とりあえず垣間みてほしい。ついでに、自分たちがどうあるべきか、思い知ってほしい。
外国語は読めないとか、そんなこと言っている場合じゃない。母国語でなんでも揃うなんてのが過保護なんだ。言語は OPENCOURSEWARE でついでに覚えちまえ。専門分野なら、だいたい何言っているかも分かりやすいだろうよ。
後でやろうとか、いつかやろうとか、それはそれでいいと思う。それもまた自由だから。