ナウシカの飛行具、作ってみた

2007年にICCで開催されていたイベント

http://pho.hatenablog.com/entry/20070218/1171789083

に行ってこのプロジェクトのことを知った。

メーヴェはドイツ語で「カモメ」を意味する、美しく白い翼を持ったナウシカの愛機です。風の谷や腐海、そして戦場の空を、ある時は優しくふわりと、ある時は猛禽のように鋭く、自由自在に駆ける姿を覚えていらっしゃる方も多いと思います。

アニメや漫画で描かれたメーヴェはもちろん架空の乗り物なのですが、僕はそれを実際に飛べるものとして作ってきました。プロジェクト名、「オープンスカイ」です。

これはオープンスカイプロジェクトをはじめとした、メディアアーティスト・八谷和彦氏のプロジェクトに関する本である。原宿でやっていたイベントも見に行ったし、

http://pho.hatenablog.com/entry/20081230/p1

シンガポールの美術館に来たときも見に行ったし、まあ一言で言えばファンなのである。

「ナウシカのメーヴェを作ってみたい」という気持ちが、心のどこかにひそんでいたのだと思います。「龍勢」を見た帰り道、高速道路のサービスエリアで休憩した際、吉澤さんと僕はハンバーガーをかじりながら、モスバーガーのレシートの裏にちょっとした計算を試みたのです。

こんな感じで10年間にわたるプロジェクトの裏話が盛りだくさんで非常に楽しめる本だった。

「希望」という言葉を、直接訴えるのではなく、どこかでそれを感じさせるようなものを作ろう。おそらく人類は過去に何度も、くだらない理由から争いを始めてしまったし、これからも繰り返すのだろうけど、それに対抗できるものを作っておこう。

「よし、そろそろ本気でメーヴェを作ろう!」

言葉を連呼されてもうんざりするだけなので、どこかでそれを感じさせるようなものというのは非常に好ましく思う。

例えば、僕が開発したポストペットだったら、「ピンクのクマがメールを運ぶ」という言葉で説明できます。エアボードという作品は、「『Back to the future』に登場するホバーボードの実物」ですし、オープンスカイの場合は、「『風の谷のナウシカ』のメーヴェの実機」になります。

現代アートというと難しく感じてしまうが、この人の作品・プロジェクトは非常にわかりやすい。

それから、もうひとつ守っているルール。「タイトルは誰もが知っている英単語ふたつを組み合わせてつけること」です。ポストペットも、エアボードも、オープンスカイも、そのルールに従って名づけました。

これは知らなかった。社名のペットワークスもこのルールに従っているのかな。

それに対して、一機の試作機を作るには、コーディネート力や総合力が問われます。つまり、機体の空力の設計、構造や強度の設計、各部品の適切な素材の選定と加工技術の確立、作られた部品の精度や強度の検査、などなど、ものすごく多くの仕事と、それを棟梁のように仕切れるチーフエンジニアが必要なのです。

この人こういうエンジニアリングなところもしっかりしていて、ちゃんと動くものを作っているのがすごくいいといつも思っている。

パイロットの訓練を始めた2004年、僕はもう38歳になろうとしているところでした。中学高校時代に器械体操をしていたので、空中で自分の身体をコントロールすることにはそこそこ慣れているつもりでしたが、長年のブランクで体がなまっているのも十分感じていました。飛行の訓練とは別に、ボディバランスを強化する訓練は何かないかと探し、ブラジルの格闘技「カポエイラ」を始めることにしたのです。

ここまでやっているとは知らなかった。確かに予測不能な動きに身体を反応させるにはすごくいい訓練になりそう。

カポエイラだけではなく、実際に空を飛ぶ感覚をつかうため、2004年4月から筑波山の先、板敷エリアでハンググライダーの訓練も始めました。ハンググライダーと僕が作っていた飛行機の翼面積はほぼ同じで、操縦に慣れる意味でも、この訓練は重要でした。

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ハンググライダーをする人たちの間には、「ツラメーター」という特別な言葉があります。顔の表面に生えている産毛のわずかな動きで風を感じとることをいい、つらメーターのために、フルフェイス型のヘルメットよりもハーフカップ型のヘルメットを好む人もいるぐらいです。

自らパイロットとして飛んでいる人だからこそわかること。

最初に自分のポケットマネー300万円をかけて製作した2分の1模型は幸い、展示した熊本市現代美術館が購入してくれたので、なんとかトントンに持ち込めましたが、人を乗せて空を飛ぶ機体となると、かかる金額も桁が違ってきます。

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期間が比較的長かったので、1日のレンタル費を設定し、やや強気の値段で交渉に臨んだところ、当初のプロジェクト予算の3分の1程度が賄えそうな額で契約がまとまりました。これで「製作費用の足しになる!」と大喜びしたのもつかの間、やはり額が大きくなると当然、責任も大きくなるわけです。

こういうお金の話も出てくるのは興味深い。

公開テストフライトで、ゴムを引っ張ってくれたのは、募集で集まってきてくれた大勢の参加者です。

ふもとっぱらでの公開テストでは、バスツアーのお金を払った上、ゴムを曳くという肉体労働をさせられるわけで、飛んでいるこちらとしては、ちょっと申し訳ない気もしていました。でも、僕自身、二人の女性テストパイロットのために初めてゴムを自分で曳いた時は、「意外といいもんだな」と思いました。

力仕事ではあるのですが、彼方からこちらに向かってまっすぐ飛んでくる機体を見ると、「ああ、この飛行機を飛ばしているのは自分だ」という確かな実感があったのです。

上手い具合に周りの人に楽しんでもらいながら手伝ってもらえるようになっている。

ソフトウェア事業部、ドール事業部、そして最後のひとつが、航空事業部。オープンスカイの研究開発をする部署になります。オープンスカイを事業化するため、2003年に役員会の承認を得て会社の定款を書き換え、新たな部署として立ち上げました。

もちろん、会社の事業だからといって際限なく赤字を垂れ流すことは許されませんが、2003年のペットワークスには、年間1000万円×3年くらいの資金を投資的に投入することは可能でした。

ペットワークスの一事業部として研究開発をしていたとは知らなかった。それにしても面白い事業部構成である。

この器械体操の経験が、後に体験型の作品を作るアーティストになったことに、大きく関係しています。器械体操は「昨日までできなかったことが、できるようになった!」という喜びが多い競技です。

また、教える人のコーチング技術によって、上達度が違うというのも発見でした。例えば教え方さえ上手ければ、人によっては30分でバック転ができるようになります。

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ちょっとしたコツを的確に教えるコーチさえいれば、人にはいろいろな可能性が広がっています。少しの手助けで、知らなかった世界に気付く。そんなコーチング的なものが、自分の作品の本質なのかもしれません。

こういう考え方って非常に大切だと思った。

また、福岡は街としてちょうどよいサイズだったこともありがたかったです。東京だと街の規模が大きすぎて、若者が何かにチャレンジしても埋もれて目立ちません。でも福岡では、面白ければ若者でも注目されました。僕は演劇部に所属していたのですが、地元のタウン誌が度々取材に来てくれました。

東京って大きすぎるというのは、東京にしかいない人にはわかりにくい感覚かもしれない。

ポストペットのようにソフトウェアを作りたいと思ったら企業と組んで開発するし、視聴覚交換マシンのようなメディアアート作品も作る。そうかと思えば、オープンスカイのようなきちんと飛べる夢の飛行機も作りたい。では、自分は何者かと聞かれたら「プランナー」という答えが一番、しっくりきます。何かをするために、材料、手段、技術、あらゆることを考えてプロジェクトを実行するのが、プランナーですから。

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高校生や大学生の人が本書を読んでいたら、伝えたいことがふたつあります。

ひとつは「メーカーに入らないとモノが作れないなんてことは、もはやないですよ」ということ。もうひとつは「偉大なアマチュアであれ」ということです。

この人がいうと非常に説得力がある。

これまで作ってきた自分の作品を並べてみると、「アート」と「デザイン」と「テクノロジー」の3つの要素が多かれ少なかれ、どこかに入っています。

自分の中に軸があるんだな。

僕はこんな感じの飛行をトライクで重ねて、ほんとにちょっとずつですけれど、空の人になっていきました。

ジェットエンジン付きの機体M-02Jでも、ほぼ此の通りのことが再現されるはずです。訓練だけではありません。エリア関係者との人間関係を作り、年間の気象環境を知るために、僕は6年前から野田の空を飛んできました。M-02Jの試験飛行では、未知の自作機を持ち込むことになります。万が一、事故が起きてしまえば、そのエリア全体が飛行禁止になりかねません。周囲の人たちの理解を得るのは一朝一夕には無理で、長い時間も必要です。

パイロット、またオープンスカイの責任者として僕が心がけてきたのは、そういうことでした。

一朝一夕でどうにかなるようなものではないし、いろんな人の協力が必要だということもよくわかる。

表面からは見えない部分ではありますが、この頃から毎回、製作スケジュールが予告なしに遅れることに対する僕の不満と、一方、四戸さんと方では展示によって作業が中断、手戻りすることによるいらだちがあり、この年の年末年始は、厳しいメールのやりとりをしています。

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お金がない、という状態が一番影響するのは、オリンポスとの契約です。

彼らはプロフェッショナルなので、作業に見合った費用を払う必要がありますし、お金がない状態では仕事の発注もできません。オリンポス自身も、このプロジェクトに当初想定した以上の作業量を費やしていて、経営的にも厳しい状況になっていました。

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一軒家の六畳間で、一人で考えます。四戸さんとの二人三脚だったからこそ、このプロジェクトは成立した。でも、これからは、自分一人でオープンスカイを進めていかなければならない。

最後は一人でやっていたとか、精神的にも肉体的にもかなりきつそうだ。

空へ100kmも飛べば、もうそこは宇宙です。僕たちのロケットは、きっと数年のうちに宇宙まで届くと信じています。最終的な目標は、有人飛行です。ただ、「ひなまつり」の炎上を見ていますので、僕は最初には乗らないと思いますけれど……。

なつのロケット団もやっているとこの本を読んで初めて知った。

現段階で僕が許可されているのは、高度3mまでのジャンプ飛行です。また、許可されているからといって、いきなり高くは飛ばず、2006年のゴム索飛行同様、少しずつ滞空時間と高度を伸ばします。

技術的に可能でも、制限があるらしい。

そして思ったのは、「あの時黙って見ているのは大変だったろうなぁ」ということです。自転車やサーフィンのように、体を使って乗る乗り物の練習では、体と同時に頭もフル回転しています。横からごちゃごちゃいっては、やっている本人はそれを処理するだけで混乱して、上達がおぼつかないのです。ピンポイントでひとつだけ気をつけるべきことをいって、本人がそれを自覚しながら体を動かすことが大事です。

コーチングに関して。黙って見ている、ぐっとこらえることが大事とはわかっているけれども、そこまで達するのはなかなか大変だ。

そんな感じで八谷氏がどのようにプロジェクトを進めて行ったか、どんなことを考えながらやっていたのかなどが詳しく書いてあって非常に面白かった。実際に動くものを作っている人がいるという事実そのものが、大きな可能性を見せてくれるような気がする。