万物の尺度を求めて

品川インターシティにあるくまざわ書店で何度も手に取って、
買おうかどうか迷った本。3回か4回行っても「あー、まだ居た」
という感じでいつの間にか擬人化してた。そして購入。
迷った理由は、面白いかどうかではなくて、積ん読がたくさんあるから
どうしようかということ。面白かった。早川書房の本はけっこう好き。

万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測
万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測ケン オールダー Ken Alder 吉田 三知世

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stars科学者は期待にどう答えるか
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要は、メートルという単位がどうしてできたか、というお話である。
地球一周の長さが、約4万キロなのはよく知られているけど、なぜ4万キロなのか。
それは、地球一周の4万分の一を1キロ、4千万分の一を1mと定めたから。
地球の一周を測定するために行われた、ナポレオンをして

征服者はいつかは去る。だが、この偉業は永遠である。

と言わしめた、壮大な子午線測定プロジェクト。
フランス革命の最中に淡々と地球の長さを測る人々について
非常に詳しく書いていて、かなり楽しめる本である。
ラプラスとかラボアジェとかルジャンドルとかカッシーニとかも出てきて、
フランスってけっこう数学者、科学者の地位が高いと思ったり、
教科書に出てた人が生きていた時代とか雰囲気とかがわかったりして
親しみが湧いてくる。大学の勉強ってこういうときにも使えるようだ。


ネタバレせずに、本の魅力を伝えるのって難しい。どこまで書こうか。
続きは、あとで書くことにする。
そもそもなぜメートルという単位を作ろうとしたのかと言えば、
フランス国内で単位がバラバラだったから。ほとんど町ごとで違う単位を使っていて、
アンシャン・レジーム(革命前)には、約800種類の重さと長さの単位が
使われていたという。おかげでコミュニケーションや商業は滞り、
国を合理的に統治することができず、学者(サバン)たちが
自分の研究成果を比較しあうこともままならなかったとのこと。

この度量衡のバベルの塔を破壊して、度量衡の共通言語を作り、物品や情報の交換に秩序と理性をもたらそうと考えた。

永久不滅の地球を元に決定されたメートルという単位はそれ自身もまた永久不滅であろう。そして、地球が世界のすべての人々に等しく分かちあわれているのと同じように、メートルは世界のすべての人々のものになるであろう。

壮大なる大義名分。このロジックを考えたやつはすごい。

学識深い国際人であるジャン-バティスト-ジョゼフ・ドゥランブルはパリを出て北へ向かい、用心深く几帳面なピエール-フランソワ-アンドレ・メシェンは南へと向かった。二人とも、特別仕様の馬車に当時の最先端の科学機器を載せ、優秀な助手をともなって首都パリを発ったのである。彼らの使命は世界の大きさを測ること、少なくとも、ダンケルクからパリを通りバルセロナに至る範囲の子午線の長さを測定することであった。

という感じで物語が始まる。やってることもすごいんだけど、時代背景もなかなか。
このミッションをルイ16世に言い渡されたけど、フランス革命で処刑されちゃうとか、
へんな道具持ってるから、行く先々でスパイと勘違いされて監禁されるとか、大変。
メシェンは大けがして、療養中にスペインとフランスが戦闘状態に入って足止め。
測定誤差に悩まされて鬱になったり、データ改ざんしちゃったり。そもそも目標がおかしい。

メシェンは、天文学の歴史において、前例のないレベルの高精度でモンジュイの緯度を測定したいと考えた。彼は、モンジュイの地球上での位置を、角度にして一秒、距離にして100フィート(約30メートル)の精度で特定することを目標とした。この精度は、現在の商業的GPSの精度に匹敵する。彼がこのようなとんでもない高精度を目指したことによって、日常業務のはずの測定は、恐ろしく困難な作業と化した。

続く三ヵ月のあいだ、メシェンは6つの星について1050回の測定を行なった。それぞれの測定は、10回ずつ繰り返された。これは超人的な努力である。夜、天空の深い冷気は、バケツの水をすっかり凍てつかせてしまうほどだった。

これでへんなデータが出たら、精神的に相当キツいだろうな。
実験系の研究室にいたので、ほんの少しわかる気がする。
その後、メートル法がどのように普及していくのかが興味深い。

  • 圧倒的な支持を得て1873年に成立した法律によって、メートル法は1840年1月1日をもって、フランス全土とそのすべての植民地において義務化されることになった。
  • だが、ある人間が因習や慣習と呼んで片付けるものは、他の人間にとっては生活の手段だった。この法案がパリで審議されているあいだ、ブルゴーニュの小さな町、クラムシーの、ロアール川とセーヌ川を結ぶ新しい運河の堤防で暴動が起こった。そこの波止場で働いていた作業者たちが、10進法の測定器を破壊し、政府は騎馬隊の出動を要請せねばならなかった。
  • とはいえそのころには、古い度量衡の世界は滅びつつあった。19世紀を通して、メートル法の知識は学校や都市から、そして鉄道線路を通じて四方八方に広がった。地方や外国からフランスの都市部に移民が押し寄せ、彼らの子どもたちは中央政府が提供する公教育を受けた。地方にとって都市が重要な市場となると、農夫たちはそれにふさわしいように自分たちの作物を梱包した。いつのまにかフランスの田舎は、それまで安穏と商売していられた村の広場から、市場原理が支配する世界へと誘い出されていたのである。

統一されていないからこそ、守られていたものがあったのだと気付いた。
なんかグローバル化みたいだな。どちらも一長一短ある。
一つのバベルの塔が壊されるプロセスというのは、他のバベルの塔にも
当てはまりそう。世界を変えるのは教育なのかもしれない。