同じとみなすこと

先日養老孟司氏の講演を聞く機会があった。
養老孟司氏の講演内容 - 自分の可能性に挑戦し続ける 中年男の独り言! - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/sytmm211/27324289.html
内容としては、ここに書いてあることと大体同じ。
意識や情報化についての話が興味深かった。

毎日寝ているということは、意識がなくなったり戻ってきたりしてるわけで
死ぬといっても、なくなった意識が戻ってこないだけで、普段と大差ないとのこと。

人間というのは変化するもの。情報というのは変化しないもの。
血圧を測るとそれなりに数値が出るけど、その値はその人の血圧じゃなくて
その人の血圧だったものを固定化した情報。血圧は変化し続ける。
情報と人は別のものだけど、同じとみなすのが情報化社会。
人間は無常。常に変化し続けるもの。昔の自分は、今の自分とは別の人。
そうじゃないと、こんなに白髪が増える理由を説明できない。

みたいなことを言っていたような気がする。


いろいろと考えさせられた。自分は自分を固定したがっているから。
今の自分のままで、同じでありたいと心のどこかで欲している。
自分が自分であるために一本の筋が通った自分というものを求めて、
自分自身の変化を恐れている気がする。情報化をやりたがっている。


自分が同じ自分でありたいと思うのは、自分で勝手にやればいいんだけど、
他人も情報化されていると思うのは、間違いなんだろう。
小さい頃よく遊んだ人と久々に会って、全然話が合わないっていうのは
取り巻く環境が違うんだから当然のこと。変化の方向が違うんだから
溝は深まり、よくも悪くも住む世界が違うという状況になる。


誰かと約束をしたとしても、その人は、外見一緒でも約束した時とは別の人。
寝て起きたら別の人。バケツリレーで記憶をつないでいるだけなのかもしれない。
ある人が前に言っていたことと別のことを言ったとしても、それは別の人なんだから
まあしょうがない。サンプリングされたデータとしての情報は、人間を理解する上で
役立つものかもしれないけど、その人そのものではないから注意が必要。
勝手にいつまでも同じとみなすのが間違っている。なんとなくそんなことを考えた。