実験は続く

修士論文提出まであと十日となったが、論文の進捗状況は
非常に悪い。実験はやっと一つまともに測定できたという感じ。
実験をあと2日くらいで終わらせて、論文書いてabstractも書かないと。


そんな状況だが、昨日また本屋に行ってきた。
一週間に一度は本屋に行かないと具合が悪くなる体質のようなきがするので。

4043718039さいえんす?
東野 圭吾
角川書店 2005-12

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B000BWRFAACOURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2/2号 [雑誌]
講談社 2006-01-19

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4167679728緋友禅
北森 鴻
文芸春秋 2006-01

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この三冊を購入。東野圭吾氏のエッセイは半分くらい読んだことがあるもの
なのでちょっと迷ったが買うことにした。けっこうな頻度で本屋に行って
いるのに、並べ方がいろいろと変わっていたりすると、この本屋はがんばって
いるんだなと思う。逆に全然変わってなかったらやる気がないんだなって
思ってその本屋からは足が遠のくような気がする。


飯の前の「いただきます」
http://tsukixino.blog41.fc2.com/blog-entry-25.htmlhttp://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
xinoken氏のところで知ったので読んでみた。かなりはてなブックマーク
されているようだ。もし本気で給食費がどうこうと言っているならかなり
イタイ。その点は他の人と同意見だけど、ちょっと感想は違うかもしれない。
まず自分はどうかというと「いただきます」とは言わない。
感謝の言葉は人に対していうものであって、ものに対していうものじゃないと
思っているから。だから作った人がそばにいればその人に感謝するのだが、
食べ物とか空間に向かっていうのはなんかへんな気がする。
「ごちそうさま」も同様。でも別にたいしたこだわりはない。
自炊しても別に「いただきます」とか「ごちそうさま」とは言わない。
しつけがなってないのかな。自分ではこれでいいと思っているのだが。


レジでは何も言わないな。バスを降りるときは「ありがとうございました」
っていうけど。レジって単に何か処理しているだけで、あまり何かを
してもらっているって感覚はないけど、バスってわざわざ乗っけてって
くれたって感覚があるからかな。よくわからないけど使い分けている。
食べ物に対する感謝の気持ちがないってわけじゃないけど、それを
音声化する必要性ってのがよくわからない。残さず食べるとか
食べ物で遊ばないとか行動で感謝の気持ちを表すだけでいいような。
音声化は言霊として古来より重視されていたのかな。まあそのあたりは
別にどっちでもいいんだが。


ふと気になったが、「いただきます」と言う派の人はいつ言うんだろう。
カップラーメンを食べるときにもいうんだろうか。ポテトチップスを
食べるときにも言うんだろうか。チューインガムを食べるときも言うん
だろうか。言うなら全部言わないとおかしいような気がする。
ガムを包んで捨てるときにちゃんと「ごちそうさま」と言わないと。
工場の人に感謝の気持ちを持つべきじゃないかと。


そういえば以前井沢元彦氏の本で読んだが
「お百姓さんに感謝して米粒を残さず食べる」とはいうけど
「家畜を堵殺してくれた人に感謝して肉を食べる」とは言わないのは
堵殺はケガレに通じて、エタ・非人の人たちの仕事だったかららしい。
感謝するならすべてやらないとフェアじゃないよな。
なんかずれてしまった気がしないでもないがまあいいか。
とにかくお金の問題ではないということ。